着物の歴史
◆江戸時代・前期
江戸時代になると、服装はそれまでに比べ、より一層簡略化されることになりました。
●裃(かみしも)の登場
それまで、武家の正装は直垂で、上衣は体全体を覆うようになっていましたが、それが簡略化され、「裃」が正装とされるようになりました。
これは室町時代に、直垂の袖を切り、着るようになったことが発祥です。
上衣は「肩衣」と呼ばれますが、これと袴を共布で作ります。
これを、下着である小袖の上に着るわけです。通常の裃は、「半裃」と呼ばれます。
これは袴の丈が、くるぶしまでのもので、略礼服としての位置づけです。
それに対して正装は「長裃」で、裾の丈が半裃の1.5倍位あり、裾を引きながら歩きます。
歌舞伎などの裃は、見栄えを良くするために、さらに裾の長さを長くしてあるそうです。
●小袖の流行
小袖は元々、平安時代以前には庶民の着ていたものだと考えられています。
それが平安時代には、貴族たちも、下着として小袖を着用するようになりました。
ところが武家が登場すると、より活動的なものが求められるようになり、室町時代以降では、小袖は武家の女性の正装となりました。
それがさらに江戸時代になると、男性も裃という形で、小袖を上に出して着るようになり、小袖は正式に表着として認められるようになります。
江戸時代に入ってくると、町人が財力を持つようになり、余ったお金を着物につぎ込むように手の込んだ小袖が次々と誕生し、お金のある町人はそれをこぞって着たのです。
「華美にすぎる」として、幕府はしばしば禁止令を出しますが、町人の情熱は収まらず、見た目は地味で、実はお金がかかっているものが好まれるようになりました。また帯も発展しました。
◆江戸時代・後期
小袖はますます人気を得て、江戸時代も後期になると、公家のあいだでも、祭り事のとき以外では小袖を着るのが普通となりました。
また平和な時代が続いたので、小袖もより華美になり、そこから「振袖」が生まれました。
●振袖の登場
振袖のルーツになったのは、子供の小袖です。
鎌倉~室町時代には、体温の高い子供の小袖は、体温を逃がすために振り八ツ口を開けていました。
これは男子、女子ともに同じだったとのことです。
男子は17歳の春、女子は19歳の秋に、袖を短くし、脇を塞いだのだのです。
江戸時代に入り、小袖の袖が、徐々に長くなっていきました。
袖が長くなったのは、一つは平和な時代になり、舞踏を習う女性が増えたからとされています。
踊る際には、やはり袖が長いほうが身振りがきれいに見えたからです。